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Pick-upArtist! 門奈紀生

Pick-upArtist! 門奈紀生

アストロリコのリーダーであり日本屈指のバンドネオニスタ門奈紀生(Toshio Monna)氏へのSkypでの10TANGOインタビュー。幼少時から現在まで、黄金の左腕を持つバンドネオン奏者の人生に迫る!

  

10TANGO-今日はスカイプでのインタビューという初めての試みにご協力いただきまして、どうもありがとうございます!インタビューさせていただくのをとても楽しみにしていました。  

 

 

門奈氏-はい、こちらこそどうぞよろしくお願いします。  

 

 

10TANGO-それでは、まず。門奈さんの音楽性に影響を与えたと思われる、音楽の原風景を教えてください。  

 

 

門奈氏-父も母も音楽が好きで、母は良く歌ってましたし、父は趣味でギターを弾いてました。そういうことから、僕たち兄弟も歌が好きで、家族中で童謡とか唱歌とか、賛美歌とかを歌ったり、合奏したり。そういうことがありましたね。  

 

 

10TANGO-そのころの門奈さんはどんなお子さんでしたか?  

 

 

門奈氏-えーと・・・。小さい頃は近所の同年代の子供とか、私の世代は兄弟が多かったですから、弟とか兄とかと外で遊ぶことが多かったと思うんですけど。それ以外には、よく父の腕時計を分解したりして怒られたりしたことが(笑)。  

 

 

10TANGO-(笑)、好奇心旺盛だったんですね。そのころ、特に影響を受けた人物などいらっしゃいますか? 

 

 

門奈氏-母とか母方の叔父が、よく歌を歌っていたんですね。それが音楽を好きになったことに影響を与えてるんじゃないかと思うんですけど。それと、小学校の2年くらいだったと思うんですが、誕生日に父がエジソンとかシュバイツァー博士とかキュリー夫人、日本の人では野口英世とか、北里柴三郎とか。あと、中江藤樹(なかえとうじゅ)など偉人の伝記の本をくれたんですね。そこから本好きになった、ということがあるかもしれません。本を読むことが好きなんです。  

 

 

10TANGO-なるほど。ところで、最初に手にされたのは何の楽器でしたか?  

 

 

門奈氏-ギターですね。僕がはじめたのは、中学からですね。  

 

 

10TANGO-どんなジャンルの音楽を?  

 

 

門奈氏-古賀政男とか。そういう本を買ってきて弾いたりしてました。で、そのころから高校くらいまでは、ロック系の・・・。昔、ロカビリーとか、あとグループサウンズの前にハワイアンのスティールギターとコーラスがはいったグループが2・3ありましたけれども、そういうのを真似たりしてました。  

 

 

10TANGO-そのころ、中学生時代にタンゴに出会われたとのことですが、どのような出会いだったのでしょうか。  

 

 

門奈氏-中学3年のときに転校してきた友達が。彼の転校してきた日、しばらく話をしていたらいきなり『タンゴクラブにはいらないか』と言われたんですね。僕はその『タンゴクラブ』というのは英語の単語かなんかを覚えるクラブかと思って『いいよ』って言ったんですよ。そしたら『タンゴ』違いで(笑)。  

 

 

10TANGO-タンゴと単語ですね(笑)。  

 

 

門奈氏-うちに遊びに来いよっていうんでね。行ったらガルデルプグリエーセカルロス・ディ・サルリ、それからフアン・ダリエンソもありましたが、『これ聞けよ』って貸してくれたんです。  

 

 

10TANGO-LPを聞いたときの印象を教えてください。  

 

 

門奈氏-ええと。僕は音楽が好きで、中学に入ってからブラスバンドをやってたんですね。トランペットを吹いていたんです。そういう中でいろんなポピュラー音楽をレコードで聴いてましたけれども。初めて聞く音色『これなんだろう』というような楽器の音が聞こえてきたのが、バンドネオンという楽器だったんですね。他にダリエンソもディサルディもありましたけれども、プグリエーセから聞こえてくるバンドネオンの音色、これがとても神秘的に聞こえて、そこから取り憑かれてしまったという感じですね。で、そのころ横浜にもレコード鑑賞会みたいなクラブがあったんですね。そこにときどき行くようになりました。 

 

 

10TANGO-タンゴを聴くために、そのご友人と? 

 

 

門奈氏-そうです。 

 

 

10TANGO-とても仲の良いご友人になられたんですね。その後もご親交が? 

 

 

門奈氏-2人で高校卒業したらアルゼンチンに行こうという話もしてました。アルゼンチンは農業移民は取らないけれども、工業移民ならなんとかチャンスがあるんじゃないか、と。で、旋盤とかそういう技術を身につけて。彼がアルゼンチンは花屋さんには日本人が多いとか、そういう情報を調べてきて。いろいろ道を考えてたんですね。そのためにはスペイン語を勉強しなければと言って、スペイン語を習いに行ったりしてました。 

 

 

10TANGO-10代で地球の反対側へ・・・熱意と冒険心ですね。 

 

 

門奈氏-で、両親に言ったら『アルゼンチンに行くのはいいけれども、もし失敗して日本に帰ってきたら、日本は学歴社会だから大学を出てから、行くなら行きなさい』というふうに言われて、とりあえずはふたりとも大学に行くことになったんです。で、その友達はアルゼンチンじゃなくってスペインの大学に留学して。帰ってから、スペイン語の通訳とか翻訳とかゆう仕事をして今まできてるわけです。 

 

 

10TANGO-門奈さんは、いつ頃からタンゴを演奏してみたいと? 

 

 

門奈氏-大学に入って、進路を模索してるときにですね。よく行っていた横浜のタンゴのレコード喫茶があったんですけども、そのレコード喫茶で聞いているときに、アニバル・トロイロのインスピラシオン(Inspiración)が鳴ってたんですね。で、不思議なことにチェロのソロが出てくるんですが、そのチェロを聴いて『これは僕はチェロをやりたい!タンゴのチェロをやりたい!』と(笑)。 

 

 

10TANGO-衝撃的だったんですね! 

 

 

門奈氏-そのときに聴いたチェロのソロというのがずっと耳にこびりついて。そのときが初めてですね、タンゴを演奏したいという思いに駆られたのは。そのタンゴを教えた友達一緒でしたので、言いましたら『こういう弦楽器は今からでは間に合わないから、あまりやってない、どうせやるならバンドネオンをやったらどうか』と。そのときチラッと『バンドネオンか』というふうにも思ったんですけども、難しいということも聞いていましたし。それからしばらくして、思い切ってやるなら『バンドネオンをやろう』というふうに思い出しました。【2に続く】                         

 

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【門奈紀生氏のプロフィール】                   

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