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カルロス・ガルシーア(García, Carlos)

カルロス・ガルシーア(García, Carlos)

1914年カピージャ・デル・セニョール生まれ   

2006年ブエノスアイレス没.  

本名:カルロス・フアン・ペドロ・ガルーシア・エチェベリー(Carlos Juan Pedro García Echeverry)


 30年代のロベルト・フィルポ(Roberto Firpo)やメルセデス・シモーネ(Mercedes Simone)との仕事から、80年代から先のブエノスアイレス市立タンゴ・オルケスタ(Orquesta del Tango de la Ciudad de Buenos Aires)での共同指揮に至るまで、60年以上に亘る経験や研鑽から来る豊かな知識と、素晴らしい仕上がりを見せる編曲の才能を持ち、様々な楽団のピアノ奏者や多くの歌手たちの伴奏を務めて来たカルロス・ガルシーアは真の意味でポピュラー音楽の功労者と言えよう。
 


 彼はブエノスアイレス市、サン・クリストバル地区で育った。始めマリアーノ・ドミンゲス(Mariano Domínguez)に音楽レッスンを受け、その後、楽団演奏家ペドロ・ルビオネ(Pedro Rubbione)より和声法、対位法、作曲法などを学ぶ。 

 

 

 まだ青年期の真っ只中だった彼の最初の仕事は、ちょうど無声映画からトーキーへの過渡期にあったこの時期、無声映画の上映時にピアノ伴奏を行うことだった。演奏家として天性の素質を持っていた彼は、仕事の幅を増やしていき、1932年にはロベルト・フィルポのオルケスタ・ティピカにピアノ奏者として加入した。 

 

 

 1938年まで彼はここに在籍したのだが、この頃がフィルポの楽団において最も興味深い時期のひとつでありガルシアは確固とした経験を得た(フィルポはこの時期に、交響曲部門を含む、非常に精巧な編曲の“ニュー・オルケスタ・ティピカ(Nueva Orquesta Típica)”を発表するに至っている)。  これと平行して、1936年から1938年までセバスティアン・ピアナ(Sebastián Piana)の代理として、歌手メルセデス・シモーネ(Mercedes Simone)のレコーディングやライブに伴奏のトリオの一員として参加している。フォルクローレ・デュオ、マルティネス(Martínez)-レデスマ(Ledesma)のサポートも務めた。 

 

 

 1938年から1945年まではハワイアン・セレナーダー(Hawaiian Serenaders)のメンバーとして、ダンスの伴奏や、国内外ツアーなどを行った。40年代半ばにはオデオン・レーベルで所属歌手の伴奏楽団の担当として重要な役割を果たした。同じ頃、アルベルト・カステジャーノス(Alberto Castellanos)の楽団ピアノ奏者としてラジオ局LRラジオ・エル・ムンド(Radio El Mundo)で演奏した。 

 

 

 1946年には教鞭をとり始め、ソリストとしての演奏や、フォルクローレ楽団の指揮も行った。1960年からはラジオ局LS1ラジオ・ムニシパル(Radio Municipal)にて、1983年まで所属したオデオン・レーベルと同様に音楽顧問を務めた。彼が様々な楽団で伴奏を務めた歌手には、オスカル・アロンソ(Oscar Alonso)、クラウディオ・ベルヘ(Claudio Bergé)、ラモーナ・ガラルサ(Ramona Galarza)、ルベン・フアレス(Rubén Juárez)、アルヘンティーノ・レデスマ(Argentino Ledesma)、フランシスコ・ジャノス(Francisco Llanos)、アルベルト・マリノ(Alberto Marino)、アルベルト・メルロ(Alberto Merlo)、エクトル・パチェーコ(Héctor Pacheco)などがいる。 

 

 

 またギター奏者ロベルト・グレラ(Roberto Grela)とレコーディングも行った。70年代には自身の楽団、タンゴ・オール・スターズ(Tango All Stars)で度々日本へツアーをしている。1978年にはプレシデンテ・アルベアル市民劇場(Teatro Municipal Presidente Alvear)にて「世界へ向けたタンゴ」の連続公演で、55人の音楽家からなる楽団の一員として参加している。 

 

 

 彼は晩年までラウル・ガレーロ(Raúl Garello)とブエノスアイレス市タンゴ・オルケスタを共同指揮した。1980年にブエノスアイレス市の要請で設立されたこの楽団でガルシアは最も伝統的な曲々の編曲を担当した。また彼はいくつかの国内映画音楽も担当した。リカルド・アルベルト・デフィリッピ(Ricardo Alberto Defilippi)監督の『オルミーガ・ネグラ(Hormiga Negra、1979年)』やフェルナンド・シロ(Fernando Siro)監督の『ブエノスアイレスの歌(La canción de Buenos Aires、1980年)』などがそうである。 

 

 

 また彼が作曲した名曲には『アル・マエストロ・コン・ノスタルヒア(Al maestro con nostalgia)』、『アジュダメ・ブエノス・アイレス(Ayúdame Buenos Aires)』、『バルコン(Balcón)』、『ミ・エストレージャ・アスル(Mi estrella azul)』、『ラコント(Racconto)』『テレナル(Terrenal)』などがある。